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走り書き

何かしたい。
でも、何をすればいいのか分からない。分からないというか、霞んで見えるというか、その糸に触れていないというか。
私の崇拝する作家さんがまたひとつ魂のステージを上げるような活動を始めた。
私はそれを心をぐらつかせて見ているしかなくて
更に私の無力さと何も成せていないことをあらわにさせられるわけで。
いや、私は何もしていないわけじゃない。
ラジオをさせてもらっているしライター業も頑張っている。
自分で言うのもおこがましいけれど、これらって私の代わりはいないと思う。
ラジオだって私の声や空気を出せるのは私しかいないし、ライター業だって、正直才能がそこそこあるライターだと思っている。
要は、自分の『役割』に武器となる自信と誇りを持っている
はず、なんだけれど
何も成せていない
と、『周り』という漠然としたものと比べては焦りと劣等感を感じている。
それはきっと、比較対象を

で見ているからなんだろうな、とふと思った。
素晴らしい絵、展示、個展、パフォーマンス、をしている周りの作家さんと『絵を描く自分』で比較しているからなのかもな、と。
極端な話、東京で個展を開いている作家さんと、富山でちまちまただ絵を描いている自分を『比較』する方がわけの分からない話なのだ。
もっと範囲を狭めても、県内で絵で活動して展覧会を開いている作家さんと、絵は描いているけれどweb上で公開止まりの自分を『比較』するのもクダラナイ比較なわけで。
だけどこれが、絵、で比較するのではなくて、表現全般で見てみるとどうだろう。
私の周りには絵で活動している作家さんが圧倒的に多いだけで、私は自分の表現する作品や仕事にはそれなりの自信も誇りもある。
それの最たるものが文章だ。
今気付いたけれど、私は自分の言葉を操ることは、自分の頭の中のおしゃべりを文章化することは、そう負けないと思っている。
フィールドの見方の角度の違い。絵にフォーカスを当てて見ているから歪んだ視界になるわけだ。
私は「○○しかできない」というタイプの作家ではない。
ご存知の通り絵やテキストや詩や写真や…と、あれこれ手をつけているような人間なので、余計自分の『道』が見えにくいんだろう。
なんかもうね、それを『器用貧乏』と言わせないレベルの人間にまで昇華させたい。
確かにメインとなる軸は欲しいけれど、「私はこういう作家だ、これはこれでいいんだ」と澄んだ心で言えるようになりたい。
で、冒頭の「何かしたい、何も成せていない」という話。
何かしたいし、それが何か分からないという面もあるのだけれど
現状でキャパが適切
という事実もあったりする。
これ以上やることを増やしたら多分私はキャパオーバーで逆に何もできなくなるだろう。
こういうことを思い出すと、なんとなく自分の障害になんとも言えない気持ちになる。
そもそも自信を持っている表現方法のひとつである文章が仕事になっているので、なんだかごちゃごちゃになっている感はあるんだけれど、正直私が今やっているジャンルのライターでは、私は全国で10本の指には入ると思っている。…いや、7本の指ぐらいにしてもいいかも。
それくらい自信と誇りを持ってやっている仕事なんだけど、やっぱり『純・表現』というより『仕事』という見方が強いので…
あ。
なんか今書きながら分かった。
『見方』の角度だ。
『比べる』ジャンル(比べること、はどうしても生まれてくる自然なものだと思っている)
仕事、の捉え方
表現方法のタイプの違い
なんか、見方を変えればいいんだ。
で、最初の主語を『あなた(あなたたち)』から『私』に変えればいい。
あなたたちはすごい、私は何もできない
ではなく
私はすごい、私にも何かできる
ぐらいの変化をつければいいんだ。
実際「これがしたい、これをしよう」なんてものは書きながらは見えてこなかったけど。でもそれでも書きながらかなり思考の整理はできたような気がする。
確かに、物理的に何かをやっていないと比較した後劣等感を感じてしまうのはまぁ仕方のないことだと思う。
でも、今は物理的に何かをやろうと思ってもできないわけだから、『仕込み』の期間ぐらいに思うしかないんだろう。
絵を描き続けろ。
言葉を繋げ。
シャッターを切れ。
誰よりも高く跳ぶ為の、今は潜伏期間。
いつか、いつか私は爆ぜる。
ステージのど真ん中でスポットライトを浴びて、歌うように踊るように私は私を魅せる日が来る。
今日は、こんな感じの走り書きです。

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